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2008年7月

2008年7月31日 (木)

生涯学習センターの七夕さま

Img_1145 今、市内の旧50号の商店街には、たくさんの七夕飾りが飾られていますが、実は、当センターでも7月7日の七夕に合わせて七夕飾りを設置していましたhappy01

七夕用の竹に合わせて、教育相談室を利用している子ども達がとてもきれいな飾りを作ってくれましたshineそしてその竹を正面玄関入ってすぐのロビーに飾りましたcrownロビーには、短冊を設置し、センター利用者の方々に自由に願い事を書いて結んでもらいましたnotes

すると短期間のうちにたくさんの短冊が結ばれ、七夕飾りはみなさんの願いでいっぱになりましたcute少しだけ願い事を覗かせていただくと、家族のことや将来のこと、恋愛のことなど様々な内容がありましたheart027月7日からもうずいぶん経ちますが、果たして織姫さまと彦星さまはみなさんの願いをかなえてくださったのでしょうか・・・sign02

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2008年7月29日 (火)

Theあしかが学―新たなる発見を求めてⅢレポート―第8回

Img_0193_2 723日(水)、Theあしかが学第8

回目の講座が開かれましたsunfuji今回はあしナビ主催の講座で、講師にじけんち市実行委員長・冨福一夫(とみふくかずお)先生をお迎えし、ナビゲーターは助戸公民館職員・岡崎が務めましたhappy01

テーマ:じけんち市とまちづくり

問題提起:じけんち市を活かしてまちを活気づけるためにはどうすればいいか。

 足利には「じけんち市」というイベントがあります。じけんち市は毎月(12月以外)第2日曜日の午前9時から午後3時まで、奥の院通りで開かれる、自由市場です。

 このじけんち市の由来は、江戸時代まで遡ります。現在の家富町は、江戸時代には鑁阿寺の寺領として「寺家(じけ)」と呼ばれていました。「寺家」とは、僧や住職のこと、若しくは寺そのものを指す言葉ですが、後に寺院の家人の住む所を指すようになりました。この『寺家』では、毎月決まった日に市が開かれ、農産物や仏具を買い求める客が集まり、大変な賑わいをみせていたそうです。しかし、江戸時代の市は時と共にだんだん開かれなくなり、明治7年の町名改称で「寺家」の呼び名もなくなりました。それでも、「寺家」が「家富町」になってからも、そこに家があれば親しみを込めて「寺家ん家(じけんち)」と呼ぶお年寄りが多くいるそうです。

以上のような由来をもつじけんち市ですが、現代によみがえったのは平成6年です。当時、足利商工会議所・地域パワーアップ支援事業「まちおこし探偵団」第1号指定事業に指定され、じけんち市は開始されました。市の内容は、骨董品・古書・美術品の青空市、地場製品の特売、なんでもフリーマーケット、名物じけんち納豆や旬の農産物の販売などです。このじけんち市も、かれこれ15年くらい続き、今年の3月で150回を数えました。

ただ、最近は以前ほどの盛り上がりがなく、お店もお客様も減少しつつあるそうです。

それらの原因として、売り手買い手両方の高齢化が考えられます。また、じけんち市の後継者がなかなか見つからないことも問題となっています。そのような現状にあって、冨福先生は若い人のじけんち市への参加、運営面でも脂ののった40代くらいの方の参加を望んでおられます。これらの希望を叶えるためにはどうしたらいいのでしょうか。

そのための一つの方法はPRです。どれだけよいイベントが開催されようとも、それを周囲の人が知らなければそのイベントの価値は小さいものとなってしまいます。じけんち市は江戸時代からの歴史を汲む足利のまちの代表的イベントとして、もっと売り出す価値があります。宣伝に力を入れ、出店者もお客様もたくさん集められれば、そこから後継者も見つかるかもしれません。そしてじけんち市の未来も安泰、さらには足利のまちの活気へとつながるのではないでしょうか。

結論:じけんち市のPRでもっと人を集めて、足利を活気づける。

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2008年7月28日 (月)

Theあしかが学―新たなる発見を求めてⅢ―レポート第7回

Img_1151_4 716日(水)、Theあしかが学第7回目の講座が開かれましたnightshine今回は久しぶりのあしかが学主催の講座で、講師に足利市教育委員会文化課・大澤伸啓氏をお迎えし、お話を伺いましたpeneyeglass最近のあしかが学は、渡良瀬ケーブルテレビの取材も入り、受講生も盛り上がっていますtv

テーマ:足利学校を語れますか?―世界遺産暫定リスト登録の意味―

問題提起:足利学校が世界遺産暫定リストに登録されることの意義

 現在足利市では、「足利学校と足利氏の遺産」と銘打って、足利学校と他2つの国史跡のユネスコ世界遺産登録を目指しています。この「世界遺産」ですが、登録されるまでには長い道のりがあります。

・第一段階は国内の審査を通過し「世界遺産暫定一覧表」に載ること

・第二段階はユネスコへ推薦書を提出すること

・第三段階で国際記念物遺跡会議の現地調査を受ける

・第四段階で世界遺産委員会による審議

それを通過すると晴れて「世界遺産」となるのです。「足利学校と足利氏の遺産」はまだ第一段階にあり、世界遺産暫定一覧表に記載されるか否かが検討されているところです。

 このように、世界遺産登録にはまだまだ時間がかかるのですが、その間に私たちは世界遺産登録のための準備ができます。準備とは足利学校についての知識を蓄えることです。この準備の一環として、足利学校の歴史と建学の理念について大澤先生はお話してくださいました。

 足利学校の歴史ですが、その成立や初期の体制については記録が残っていないため、諸説あります。足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代、関東管領・上杉憲実の再興からです。上杉憲実は、現在国宝に指定されている貴重な書籍を寄進したり、庠主(学長)制度を設けるなどしました。そして、足利学校の最盛期は戦国時代と言われています。1550年頃は「学徒三千人」と言われ、足利学校の存在はキリスト教宣教師の記述によってヨーロッパにも知られるようになりました。その後、江戸時代前期~中期に足利学校は二度目の繁栄を迎えます。この時は、幕府から100石の所領を寄進されたり、毎年の初めにその年の吉凶を占った「年筮(ねんぜい)」を幕府へ提出したり、孔子廟や三門も創建されました。しかし江戸時代後期以降、足利学校は坂東の大学の役目を終え、藩校へと移行し、それも明治5年に廃校となりました。それからの足利学校は建物の撤去や蔵書の散逸といった混乱期に入りますが、先人のたゆまぬ努力によってそれを乗り切ります。そして昭和57年に「史跡足利学校跡保存整備事業」が始まり、平成212月、江戸中期の姿に蘇ったのです。

 以上のような歴史を辿った足利学校ですが、その建学の理念は今なお足利のまちに息づいています。足利学校の建学の理念は「自学・自習」です。「自学・自習」とは、あらゆる分野への興味関心を大切にし、それらを満たすために自主的・自発的に学び続けることです。これは「生涯学習」と呼ばれ、市の事業でもさかんに行われており、足利市の個性となっています。足利学校へ興味関心を抱き、自発的に足利学校について学ぶことも、足利学校の建学の理念に基づく行いと言えます。そしてその行いが、世界遺産暫定一覧表登録への活力ともなるのです。

 このように、足利学校について学びを深めた先に「ユネスコ世界遺産国内暫定一覧表入り」があります。もしもそれが叶うなら、足利のまちにとって重要な意義があると思います。

結論:ユネスコ世界遺産国内暫定リスト入りすることは、その財産の価値を認められることであり、私たちのふるさとへの誇りを新たにし、愛着を高めることになる。

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足利学校や「足利学校と足利氏の遺産」世界遺産登録に関する情報→

世界遺産登録clover http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/01_kakuka-page/10_kyouiku/05_bunka/sekaiisan/sekaiisan-home.htm

史跡足利学校pencil http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/01_kakuka-page/10_kyouiku/06_ashikagagakou/gakko.html

2008年7月14日 (月)

Theあしかが学―新たなる発見を求めてⅢ―レポート第6回

79日(水)、助戸公民館においてTheあしかが学6回目の講座が開かれましたyachtpenguin今回も「あしかがナビ」主催の講座で、講師にロケーションコーディネーターの中山ヤス子先生をお迎えし、ナビゲーターは北郷公民館職員の石川が担当しましたeyeglassdog

テーマ:映画(やドラマやCM撮影)とまちづくり

問題提起:映画やドラマやCMとかかわったまちづくりへの一提案

 「ロケーションコーディネーター」という言葉にはあまり馴染みがないかもしれません。ロケーションコーディネーターは職業の一つです。仕事内容は、映画やドラマ、CMなどでロケーション撮影(通称:ロケ)をする際に、その候補地の探索・選定・情報提供、本番ロケの立ち会いといった、ロケーション撮影に関する様々な段取りや提案やアドバイスを行う、というものです。

ロケーションコーディネーターの方々は、仕事の拠点を東京に置くケースが多いのですが、講師の中山先生は地元足利を拠点にされています。そして先生は多くの撮影を足利に誘致され、先生のお力で足利のまちが映画やドラマやCMに登場できるのです。具体的に先生が手がけられたお仕事の一部には、映画「リリイ・シュシュのすべて」(2001年)「わたしのグランパ」(2003年)、ドラマ「ヒミツの花園」(2007年)などがあるそうです。これらの映画やドラマの撮影に足利が使われ、地元の方がエキストラとして出演もしているのです。

 さて、実はこのロケーションコーディネーターのお仕事に似た行政の事業があることをご存知でしょうか。それは「フィルム・コミッション」と呼ばれ、栃木県も平成18年にその事業を始めたことを先生は教えてくださいました。県の事業はその名も「栃木県フィルムコミッション」、メディアを通じて栃木県の魅力を広くアピールすることにより、イメージアップと地域活性化を目的としています。主な支援内容は、ロケ地に関する各種情報提供、現地案内、ロケ先との調整、各種許可申請に関するサポート、撮影後の広報などに関するサポートです。この栃木県フィルム・コミッションは実際に多くのメディア製作者の方々にご利用いただき、様々なロケが栃木県で行われ、県の活性化につながっているようです。

 地元の風景が映画やドラマやCMに使われる、地元の人々がエキストラとして登場する、それは地元の誇りに、そして地域の力となるのではないでしょうか。そこで、一つ提案です。足利でもフィルム・コミッションの活動を始めてみるというのはいかがでしょうか。

中山先生は、「ロケ地としての足利」を大変評価されました。なぜなら、足利は歴史のあるまちで、古き良き建物や道がたくさん残っているからです。また、足利には山があり川があり、そして何より夕日が綺麗なまちです。足利でロケをする映画監督の方々は皆さん夕日を撮りたいとおっしゃるそうです。距離的にも足利は、東京からも遠くなく、日帰り撮影も長い撮影での通いも可能です。これほどの好条件がそろっている足利を、誇りを持ってもっと外へと向けて宣伝してもいいのではないでしょうか。それは広報によるまちづくりです。その一つの方法がフィルム・コミッションなのです。

結論:広報によるまちづくり。フィルム・コミッションで映画・ドラマ・CMのロケ地として足利を売り出そう!

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市民企画実践講座~大人から始めるヴァイオリン講座…途中経過

市民企画実践講座~大人から始めるヴァイオリン講座の経過報告ですcherry

現在、6回の講座を終了し、受講生のみなさまは日々上達されていますwink前回のブログ記事で、「講座初回の宿題は4本の開放弦でそれぞれきれいな音が出せるようにする」とお伝えしましたが、それはもうほぼ完璧scissors現在は基礎練習を兼ねて簡単な曲を弾いていますnotes

これまでにマスターした曲は、「メリーさんの羊」「喜びの歌」(ベートーベン)「蝶々」ですclover約一ヶ月前は全くヴァイオリンに触れたことがなかったのに、今は曲が弾ける、これはすばらしい進歩だと思いますtulip今後は9月の演奏会に弾く予定の曲に取り組んでいく予定ですflair

ゆっくり、気楽に、楽しく練習に励み、みんなで一つの曲を仕上げる喜びを味わっていると思いますshineshine

2008年7月 1日 (火)

Theあしかが学―新たなる発見を求めてⅢ―レポート第5回

Img_1142 625日(水)、Theあしかが学第5回の講座が開かれましたnotes今回はあしかがナビ主催の講座で、講師に自然学校「NOSAP(ノザップ)」理事長の嶋田英紀先生をお迎えし、ナビゲーターは名草公民館職員の松葉が担当しましたclub

 

Img_1145 自然学校「NOSAP」とは、名草上町にあるフリースクールですdiamondそこでは、幼児から大人までが集い、互いに刺激しあい学びあっていますeyeglass自然学校NOSAPにおける先生は、「自然」ですclover嶋田先生は「自然と遊び自然に学ぶ」という理念のもとでお話をしてくださいましたbud

テーマ:自然とまちづくり

問題提起:自然と子どもとまちづくりの関係は?

●自然

 足利には自然がたくさんあります。誰もが感じることですが、自然はすばらしいものです。嶋田先生は自然のすばらしさについて次のようにおっしゃいました。「自然は何も教えようとしない。けど限りなく知りたいと思わせる」。自然は意図的なところがないから自然なのです。花はただそこに咲き、鳥はただそこを飛ぶ。そして人間はただそこにある花や鳥を見て限りなく興味を惹かれるのです。

●子ども

 人間は自然と遊び自然に学びます。自然は人間に何も教えようとしなくても、偉大な先生です。もちろん子どもたちにとっても同じです。子どもは自然について知りたがるものです。あの鳥は、この花は、この虫は何だろう、今何かが動いたけど何だろうと、子どもたちの疑問は尽きません。そのような時、大人が安易に知識を与えてしまうのを踏みとどまることが大切です。子どもは知識を与えられなければ、自分で調べることを覚えます。そうして自然とのふれあいの中で、子どもの行動が受動から能動に変わると、自ずと子ども達が活気づいていくのです。

●まち

 自然の中で子どもたちが元気になると、「まち」もその子ども達から元気をもらいます。「まち」は子ども達から元気をもらう代わりに、子ども達を見守ります。また「まち」は、次の代を担う子ども達が住みやすく、居心地が良く、子ども本来の姿でいられる「まち」である必要があります。子ども本来の姿とは、自然と「まち」の中を元気に駆け回る姿です。そのためには、今ある自然を壊さないでできるまちづくりの方法を考えることが大事です。草木を取り払って「まち」を整備し新たに木を植えるのではなく、今ある自然を最大限に活かすのです。つまり「まち」には、「まち」の活気の源である子ども達と、子ども達の元気の源である自然を守る役目があるのです。

結論:自然が子どもを元気にし、元気な子どもがまちを活気づけ、そして「まち」は子どもと自然を守る。与え合い支え合う、自然と子どもと「まち」。

Img_1152 先生のお話の後は、では私たちはどうすればいいか、何ができるか、具体的にグループで話し合いましたhappy01よいお話を聞くだけにとどまらず、まちづくりとして実践する、それがTheあしかが学が目指すところですrun

カラスさん、ごめんなさい。

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毎年当センターの多目的広場(校庭)の夜間照明にカラスが巣を作りますchick木の枝はもちろん、ハンガーまでどこかの家から拝借してきて、それはそれは立派な巣が作られますgoodそしてカラスはその巣で子育てをするのですcarouselpony

しかし、私ども人間にとっては、カラスの巣は様々な意味で危険なものですdangerそこで、東京電力の方々にお願いし、この度その巣を取り除いていただきましたcoldsweats02実は、鳥を取り除くには「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」(通称:鳥獣保護法)の規制があって、雛が巣立つまでは手がだせませんtyphoonセンターのカラスの巣からは2羽の雛が無事に巣立ったので、巣を取り除くことができたのですthink

ただ、何度巣を取り除いてもカラスはまた同じ場所に巣を作るということですwobblyまた来年も同じことを繰り返すのでしょうか・・・。「自然と人間の調和」などというフレーズが胸をよぎる今日この頃ですrecycle

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