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2011年1月28日 (金)

平成22年度Theあしかが学(後期)講座レポート最終回

115日(土)午後2時から「上智大学サテライト講座・Theあしかが学(後期)にんげん学入門―こころの学びのススメⅡ―」の最終講座が開催されましたcherryblossomshine今回は公開講座だったので、初めからの受講生の方も含め、約80名のお客さまにご参加いただきましたhappy01講師は上智大学大学院を修了され、現在はセカンドハーベスト・ジャパン(NPO法人)の理事長としてご活躍されているチャールズ・マクジルトン先生でしたnotes

「助けないように助けられた」

~マクジルトンさんに学ぶボランティアのこころ~

マクジルトンさんは1963年アメリカに生まれ、1991年に上智大学入学と修道生活を志すため来日しました。その時修道会から二つの条件が出され、その一つが「東京のスラムで生活すること」だったそうです。「東京のスラム」、この表現はきつく、不適切なものかもしれませんが、とにかくマクジルトンさんは日雇い労働の方が多く生活されているまち山谷で生活することになったのです。

マクジルトンさんいわく、山谷での生活は「何かが違う、何かがおかしい」と感じるものでした。日雇い労働ではどうしても収入が安定しません。就職には住所と連絡先が必要になりますが、山谷の日雇い労働者の方はそれがないため、山谷地区の日雇い以外では働けないのです。そして仕事のない日や時期は食べるにも事欠くことになるのです。

そのため山谷にはたくさんのボランティアの方が訪れ炊き出しを行います。しかしその中で「受ける」と「与える」がはっきりと区別され、受ける側と与える側の交流があまりなされていなかったのだそうです。山谷ではマクジルトンさんも「先輩」と呼ばれ、与える側の人間として存在していたようです。そのような状況にあってマクジルトンさんは、大切なものは食料や家だけではない、ただ物をあげるだけでは不十分と感じました。そしてマクジルトンさんは何が足りないのかを追求するために、1997年から隅田川沿いでブルーシートの家の生活を始めるのです。

ブルーシートのテント生活は13カ月に及びました。ここでの経験でマクジルトンさんの人生が変わったのだそうです。ある時テントにはAさんとBさんとマクジルトンさんがいました。AさんとBさんには食料が不足していました。そこでマクジルトンさんは考え、二人の為にカップラーメンを用意しました。しかしAさんはそれを受け取りませんでした。Aさんはあくまで自己責任を持っていて、食べ物がないことも自分の責任で受け入れ対処するというスタンスをとったのです。そしてマクジルトンさんは気づきました。自分はそれまで「助けよう」と思っていたけれどそれは間違いだった、相手には「助けてほしい」という希望はなかったのです。それからマクジルトンさんは「相手を助けるためにやるのではなく、自分が楽しむためにやる」という意識でセカンドハーベスト・ジャパンを立ち上げました。

セカンドハーベスト・ジャパンは「すべての人に食べ物を」を目指し、炊き出し・ハーベストパントリー・フードバンク活動・政策提言発展を行うNPO法人です。もっとも特徴的なのは日本初のフードバンク活動で、これは食品製造メーカーや農家、個人などから、まだ充分食べられるにも関わらずさまざまな理由で廃棄される運命にある食品を引き取り、それらを児童養護施設やDV被害者のためのシェルター、路上生活を強いられている人たちの元へ届けています。セカンドハーベスト・ジャパンのスタッフの方々はその活動を楽しんでされているそうです。それが結果として相手からの「ありがとう」へとつながるのでしょう。助けようとして行動したわけではく自分が楽しんで行動したが結果として助けることができた、それが講演のテーマ「助けないように助けられた」に込められた意味、マクジルトンさんのボランティアのこころなのかもしれません。

最後にマクジルトンさんは私たちに力強い言葉を投げかけてくださいました。「私たちでなければだれがやる?無理なくできることがあるはずです。今でなければいつやる?今日からできることがあるはずです。」マクジルトンさんのお話から私たちがそれぞれにメッセージを受け取り、小さな実践に移していけるよう、願い努力したいと思います。

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