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2008年6月24日 (火)

Theあしかが学―新たなる発見をもとめてⅢ―レポート第4回

Img_1155 619日(木)、Theあしかが学第4回目の講座が開かれましたshine今回はTheあしかが学主催の一斉講義形式、講師は足利市文化財専門委員会委員長の日下部高明先生ですhappy01

テーマ:足利にも〝はんなり〝言葉―言葉に見る「あしかが」

問題提起:あしかがとはどんなまちか。

 今回先生は「地域学」という視点からお話してくださいました。先生曰く、バブル経済崩壊以後、地域重視の方向性が強く打ち出されたそうです。現在はその変調が著しいのですが、当時の地域重視の方向性において「地域学」が発展したのです。

 そもそも「地域学」の「地域」とは何を意味するのでしょうか。それは他地域と比べ、特徴的に発展した文化・歩んだ歴史、培われた習俗・言語、生活・生業・産業にかかわってきた自然などです。個々の土地にはそれぞれに地域性があるもので、足利にもまた独自の地域性があります。

 先生は足利の地域性を「足利異国論」という言葉で表現されました。足利の文化は県内でも独特のものが多く、言葉にもそれが表れています。その一例として挙げられるのが「はんなり」という言葉です。「はんなり」とは「上品ではなやか、ぱっと明るいさま」を意味する関西地方の言葉です。この「はんなり」、実は足利の女性達も遣うそうです。なぜ関西の言葉が足利で遣われるのでしょうか。

 その原因として「足利銘仙」が挙げられます。足利銘仙は昭和初期の足利の代表的な織物です。開発当初は売れ行きが伸びなかったものの、改良を重ねた結果、ついには日本一の生産量を達成しました。そのため足利には、織物産業に従事するために栃木県内はもとより、日本全国から人が集まりました。その時、京都からも女工さんがたくさんいらしたそうです。「はんなり」はその女工さんたちが遣っていたものが定着したと考えられます。

Img_1160 さらに、竹久夢二の描いた「足利本銘仙」PR資料の表紙にも「はんなり」が遣われています。そこには足利銘仙を着た女性の絵に「着ませ 足利本銘仙を ほぐし模様の はんなり派手に エゝ柄のよさ」と書き添えてあります。これも足利に「はんなり」という単語が定着した原因の一つでしょう。

 このように、足利が「異国」となった背景には18世紀~1970年頃の、他地域からの人口流入・文化の流入があるのです。

結論:あしかがは、かつて織物産業の大産地であり、日本全国から文化が持ち込まれ、それらが今でも息づくまち。

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